2012年3月10日土曜日

さよなら 急行きたぐに

3月10日(土)

急行「きたぐに」で過ごした夜








寝台は満席。










大津を出発すると、消灯の車内放送が流れた。


ここから先、直江津までは、レールの継ぎ目の音と電車のモーター音だけの世界になる。
真夜中の車窓を見ながらプシュッと一杯。


40年近く前、この時期の「きたぐに」は、スキー客でごった返していたように記憶している。
だが今は、スキー、スノーボードを持つ人は全くいない。
時代が変わったんだ。

おもむろに携帯電話を取りだして、メール、Facebook のチェック。
昔の乗客はこんなもの持っていなかった。当然だが・・・。
確実に時代は変わった。

しかし、この3段式B寝台の狭さ、レールの継ぎ目の音、これだけは時間が止まっているかのように、全く何も変わっていない。
まさに昭和の匂いがそこには残っている。

彦根、米原あたりまでは覚えているが、次に気づいたらもう武生だった。

北陸トンネルに入るまでは起きていようと思っていたがダメだった。

鉄道トンネル日本第2位の長さを誇っていたころ、列車がトンネルに入る前には必ず車内放送でその案内があった。

その北陸トンネルでこの「きたぐに」は、日本の鉄道史上最悪の火災事故を起こしている。
この電車ではなく、客車で走っていた時代の出来事だが。
食堂車から出火して、30名の方が亡くなり700名以上の方が負傷された。
その事故以降、北陸トンネルを通過するときには、少し恐怖を感じていた子供時代を思い出す。

3.11から明日で1年。
「きたぐに」で北陸トンネルを通過するのもこれが最後。
北陸トンネルで合掌しようと考えていたのだが・・・。


その後、長時間停車の金沢では目は覚めたものの睡魔に勝てず、ホーム散策は断念。
ちょっと飲みすぎたか。


午前5時45分頃、車内放送が再開。
まもなく直江津。

直江津での停車は約20分。
ここで2回目の乗務員交代が行われる。
そして、JR西日本からJR東日本に列車が引き継がれる。


直江津のホームは大賑わい。
乗客、乗ってきた乗務員、これから乗り込む乗務員、それぞれが代わる代わる、そして一緒に写真に納まっている。
そして、鉄道談義に華が咲いていた。

その間「きたぐに」は、長い間走り続けて疲れたからだをしばし休ませながらその様子を見ているような気がした。

長年走り続け、老朽化した車体。
この錆びは「きたぐに」の汗のように見えた。


いたるところに傷や凹みがあり、


レトロな操作盤も現役だ。


誇らしげなエンブレム。



天井の高いグリーン車。
こちらは自由席。

直江津を出発すると、あと2時間少々で「きたぐに」ともお別れ。

新潟駅が近づいた。


お疲れさま。
ありがとう。


わが輩たちを降ろして、回送列車となって今夜のために一旦入庫していく「きたぐに」。
わが輩にとって、これが「きたぐに」との永遠の別れ。
最後に乗ることができて本当によかった。

あと6往復で50年の歴史に幕を下ろす。

今日の新潟は寒かった。
天気が良ければ観光でもと思ったが、10時11分の北越、金沢からサンダーバードに乗りついで京都に戻ることにした。
新潟での滞在時間1時間42分。
今日一日の列車乗車時間、約16時間30分。




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