11月27日(火)
今日から寒い京都で職場復帰。
あの暖かかった沖縄滞在は、遠い昔の出来事のよう。
レース翌日、沖縄本島は大雨。
一日でこんなに条件が変わるとは、自然にはどうしてもかなわない。
レース開催日が一日遅かったら、わが輩は体調万全ではないがスタートしていたかもしれない。
しかし、一日遅かったらこの大雨だ。
いずれにしても、今年はスタートしていないだろう。
雨の中、今年の「沖縄」について思い巡らせながら帰宅の途に就く。
今回の体調不良は、ただ単に運が悪かったということではない。
4月に職場環境が変わり、4月~5月とトレーニングができる状態ではなかった。
しかし、6月には、以前からエントリーしていた IRONMAN 70.3 に強行出場。
結果は悪くなかったが、身体が受けたダメージは大きかったようだ。
その後も、残業は減ることなく、深夜帰宅が続いたが、仕事に負けたくないという気持ちだけで苦し紛れのトレーニングを続け、身体の疲れが抜けないままの状態だった。
7月~8月も夏バテもあり全く調子が上がらず、もどかしいほどペダルが踏めず、坂も登れず。
8月の乗鞍ヒルクライムもビックリするほど遅いタイムだった。
最初は自分の時計が間違っているのかと、真剣にそう思うほど遅かった。
9月は夏季休暇を取り旅行へ。
その休養がよかったのか、その後10月は登り調子となっていく。
10月は仕事の合間を縫って、とにかく走った。
200Km超のロングライドも2回、週末はチーム練習で追い込み、月間総走行距離はたしか、1,200Km越えていたと思う。
忙しいなかで、唯一満足できる練習ができた月だった。
しかし、平均睡眠時間4~5時間は結構きつかった。
今思えば、気を抜くと、すぐにウトウトしてしまうほど、慢性的な睡眠不足に陥っていた。
しかし、早朝は走りたくて目が覚める。
11月に入って、さあ調整期間に入ろうと、気を少し緩めた途端に身体のいたるところが悲鳴を上げ始めた。
腰痛、右脚痛だ。
そして、お腹もこわすようになっていた。
疲れの蓄積。
無理のしすぎ。
回復が追いついていなかったように思う。
今までは、若いころの貯金で走り続けてくることができたが、その貯金がもう尽きてきた。
体力のベースが腐食してしまっているように思う。
腐食した土台に立派な家を建てようと努力しても、その努力は積み上げ終る前から崩れていってしまうのはあたりまえだ。
走っても、走っても、速くなれない。
まさにこれだ。
目の前の大きな目標が目の前から消えていって、初めてそれに気付く。
今頃気づいても、もう今年のレースは終わってしまった・・・。
なんて愚かな・・・
しかし、愚か者であったがゆえに、今年はいつもと違った沖縄滞在を楽しむことができた。
レース観戦、そして、JALプライベートリゾート・オクマ(http://www.jalokuma.co.jp/)の滞在もそのひとつ。
いつもは滞在していても、到着→自転車組み立て→晩めし→準備→ふろ→寝る→起きる→朝めし→レース、それだけだった。
しかし、今年はホテルを堪能した。
ビーチにも始めて行った。
波の音を聞きながらウトウトする至福の時間。
この時期は暑くもなく、寒くもなく、怠けるのには最高の季節。
この「癒し」が今回の体調回復を早めてくれたのだと思う。
白い砂浜、青い空、そして青い海。
だんだん影が長くなり 、
コテージにも、ゆったりと流れた日中が終わるような気配が感じられる時間となり、
そして、夕陽が海へ帰ってゆく。
何もしていないのに、疲れているわけでもないのに、なんとなく気だるい感じを心地よく感じながら夕陽を見送る。
今日も幸せな一日をありがとう。
そして、夜を楽しむ。
ツール・ド・おきなわを目指すホビーレーサたちの年末年始は11月である。
レースの日を境に、また新しい年が始まる。
今年は、レースに向けた調整を大失敗してしまい、それだけで言うと最悪の年であった。
しかし、その分、年末年始の休日を思う存分堪能できた。
さて、しばらく体調を整えてから、来年の11月に向けてゆっくり再スタートを切ることにしよう。
まずはLSDで昔の貯金を使い切ってしまった基礎体力を一からしっかりと構築すること。
そして、己の身体と向き合って、加齢とも上手く付き合いながら、あせらずゆっくり、11月にピークもっていく。
この面倒くさい過程を一年かけてコツコツ積み上げていく。
あ~楽しみだ。
悔しくって、面倒くさくって、苦しくって、しんどくって・・・
自転車はなんでこんなに魅力的なんだろ。
と、いろいろ思いを巡らせながらの南国からの航路であった
今日から寒い京都で職場復帰。
あの暖かかった沖縄滞在は、遠い昔の出来事のよう。
レース翌日、沖縄本島は大雨。
一日でこんなに条件が変わるとは、自然にはどうしてもかなわない。
レース開催日が一日遅かったら、わが輩は体調万全ではないがスタートしていたかもしれない。
しかし、一日遅かったらこの大雨だ。
いずれにしても、今年はスタートしていないだろう。
雨の中、今年の「沖縄」について思い巡らせながら帰宅の途に就く。
今回の体調不良は、ただ単に運が悪かったということではない。
4月に職場環境が変わり、4月~5月とトレーニングができる状態ではなかった。
しかし、6月には、以前からエントリーしていた IRONMAN 70.3 に強行出場。
結果は悪くなかったが、身体が受けたダメージは大きかったようだ。
その後も、残業は減ることなく、深夜帰宅が続いたが、仕事に負けたくないという気持ちだけで苦し紛れのトレーニングを続け、身体の疲れが抜けないままの状態だった。
7月~8月も夏バテもあり全く調子が上がらず、もどかしいほどペダルが踏めず、坂も登れず。
8月の乗鞍ヒルクライムもビックリするほど遅いタイムだった。
最初は自分の時計が間違っているのかと、真剣にそう思うほど遅かった。
9月は夏季休暇を取り旅行へ。
その休養がよかったのか、その後10月は登り調子となっていく。
10月は仕事の合間を縫って、とにかく走った。
200Km超のロングライドも2回、週末はチーム練習で追い込み、月間総走行距離はたしか、1,200Km越えていたと思う。
忙しいなかで、唯一満足できる練習ができた月だった。
しかし、平均睡眠時間4~5時間は結構きつかった。
今思えば、気を抜くと、すぐにウトウトしてしまうほど、慢性的な睡眠不足に陥っていた。
しかし、早朝は走りたくて目が覚める。
11月に入って、さあ調整期間に入ろうと、気を少し緩めた途端に身体のいたるところが悲鳴を上げ始めた。
腰痛、右脚痛だ。
そして、お腹もこわすようになっていた。
疲れの蓄積。
無理のしすぎ。
回復が追いついていなかったように思う。
今までは、若いころの貯金で走り続けてくることができたが、その貯金がもう尽きてきた。
体力のベースが腐食してしまっているように思う。
腐食した土台に立派な家を建てようと努力しても、その努力は積み上げ終る前から崩れていってしまうのはあたりまえだ。
走っても、走っても、速くなれない。
まさにこれだ。
目の前の大きな目標が目の前から消えていって、初めてそれに気付く。
今頃気づいても、もう今年のレースは終わってしまった・・・。
なんて愚かな・・・
しかし、愚か者であったがゆえに、今年はいつもと違った沖縄滞在を楽しむことができた。
レース観戦、そして、JALプライベートリゾート・オクマ(http://www.jalokuma.co.jp/)の滞在もそのひとつ。
いつもは滞在していても、到着→自転車組み立て→晩めし→準備→ふろ→寝る→起きる→朝めし→レース、それだけだった。
しかし、今年はホテルを堪能した。
ビーチにも始めて行った。
波の音を聞きながらウトウトする至福の時間。
この時期は暑くもなく、寒くもなく、怠けるのには最高の季節。
この「癒し」が今回の体調回復を早めてくれたのだと思う。
白い砂浜、青い空、そして青い海。
だんだん影が長くなり 、
コテージにも、ゆったりと流れた日中が終わるような気配が感じられる時間となり、
そして、夕陽が海へ帰ってゆく。
何もしていないのに、疲れているわけでもないのに、なんとなく気だるい感じを心地よく感じながら夕陽を見送る。
今日も幸せな一日をありがとう。
そして、夜を楽しむ。
ツール・ド・おきなわを目指すホビーレーサたちの年末年始は11月である。
レースの日を境に、また新しい年が始まる。
今年は、レースに向けた調整を大失敗してしまい、それだけで言うと最悪の年であった。
しかし、その分、年末年始の休日を思う存分堪能できた。
さて、しばらく体調を整えてから、来年の11月に向けてゆっくり再スタートを切ることにしよう。
まずはLSDで昔の貯金を使い切ってしまった基礎体力を一からしっかりと構築すること。
そして、己の身体と向き合って、加齢とも上手く付き合いながら、あせらずゆっくり、11月にピークもっていく。
この面倒くさい過程を一年かけてコツコツ積み上げていく。
あ~楽しみだ。
悔しくって、面倒くさくって、苦しくって、しんどくって・・・
自転車はなんでこんなに魅力的なんだろ。
と、いろいろ思いを巡らせながらの南国からの航路であった
2 件のコメント:
出られなかったのは残念ですが、代わりに沖縄を満喫されたようでなによりです^^
塞翁が馬ですね! ←某教授の座右の銘
来年は出場して、ベストを尽くせることをお祈りします!
ふさん、ありがとう。
「塞翁が馬」。島ことばで、ナンクルナイサ〜ってことですね。
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