2013年11月14日木曜日

ツール・ド・おきなわ 2013 市民レース140Kmを走って(その2)

 
11月14日(木)
 
ツール・ド・おきなわの余韻に浸る間もなく、何事もなかったようにサラリーマンとしての日常が粛々と過ぎてゆく。
けど、まだ4日前のこと。
今夜ももう一度、心を沖縄に戻して・・・
 
 
<コース詳細>
 
 
 
いつもより大きな集団で、風の影響を受けやすい辺戸岬から普久川ダムの登り口までの東海岸を気持ちよく走っている。
ということは、いつもより前の位置で走れているということ。
今年は調子がいい。
 
けど今年は暑い。
日が高くなり、気温がぐんぐん上昇する。
ボトルはすでに空っぽ。
こんなことなら、最初の給水所でもらったボトル捨てるんじゃなかった。
 
 
集団のスピードが一旦遅くなり、1~2列の縦長だった集団が横に広がる。
目の前に真っ青な海を見ながら、方向を緩やかに左に転換、そして次に視界に入るのは山。
いよいよ普久川ダム2回目の登りに入る。
 
 
登りの中腹でSさんと合流。
一人より、仲間が近くにいると、やはり元気が出る。
暑くて、ボトルも空だけど、考えようによっては軽くていい。
この調子で行けば、今年は210Km先頭の選手から、山岳賞ポイントまで逃げることができるかも・・・
と甘い考えが頭をよぎったところで、白バイが我々の横を通過。
続いて先導バイクと210Km先頭の選手が、登りとは思えないスピードで我々を抜き去って行った。
その後パラパラと210Kmの選手続いて行ったが、結局、山岳賞ポイントまで210Kmの選手の集団に抜かれることはなかった。
今年は速い。
調子がいい。
 
 
普久川ダム山頂の給水所で、待ちに待ったボトルを受け取る。
水1本、スポーツドリンク1本。
喉が乾いていて、スポーツドリンクのボトルは、その後すぐに飲み干してしまった。
 
 
のどの渇きが一段落して、しばらくは急な下り。
ちょうどそのとき、210Kmのメイン集団らしき集団が追い付きてきて、丸く弾丸のように身体を小さくかがめた無数の人間たちが、すごいスピードで追い越して行く。
下りが苦手なわけではないけれど、横をすり抜けるあのスピードには唖然。
恐怖すら覚えた。
これが日本最高峰のアマチュアの下りか。
 
 
80Km地点を過ぎたあたり、きつい登りが落ち着いたころ、140Kmの選手たちは散り散りバラバラに粉砕されていた。
ここから先は、210Kmの選手の集団に乗せてもらって前に進むことが得策。
補給のジェルを飲みながらペダルを回し、そのチャンスを待つ。
 
後ろから次々と210Kmの小集団は来るけれど、どれも異次元のスピード。
さすが日本最高峰のアマチュアレーサー、この起伏のあるコースであのスピード。
なかなか乗せてもらえない。
その間にもジェルの補給を絶やさない。
しかし、水がもう無い。
ボトル2本、1リットルが10Km少々進んだところで底をついてしまった。
暑い。
両方のハムストリングと左ふくらはぎが、ピクピクと非常にヤバい状態に陥ってきた。
 
 
90Km地点あたりで、20人ぐらいの集団に、やっと付くことができた。
210Kmの選手をメインとして140Kmの選手も含む20人ほどの混成集団だった。
 
集団で走るときは、今までもそうしてきたように、ローテーションには加わる主義。
ところが、やっとの思いで乗っかった直後だというのに、前から下がってきた某大学のエンブレムを付けたジャージの若者が、「付いてくるならローテ入ってくださいよ。」と眉をひそめながら言ってきた。
おいおい、アラフィフのおっさんを、そんなにいじめるなよ~、わかってるって。
伊達に彼らの2倍以上の人生を生きてきたわけじゃない。
そこは怒らず、ニッコリ笑って、けど、彼に前を譲ってやった。
で、一息入れてから、ローテーションに加わった。
 
 水もなく、スピードも速く、補給のジェルも取れず、脚はピクピク痙攣してる。
100Kmまでは、と心に決め何とか付くが、ちょうど101~2Kmの地点で、とうとう置いて行かれることに・・・。
 
 
107Km付近、慶佐次の給水所まではほぼ一人で乾きの単独走。
途中、沖縄駐屯の米兵だという選手と会話をして、少し元気をもらった。
けど、お話の内容はほとんど理解できず、彼も先に行ってしまった。
やっぱり英語は勉強しておくべきだった・・・。
 
 
慶佐次の給水所になんとかたどり着き、水とスポーツドリンクを1本ずつ受け取るが、スポーツドリンクはすぐに飲み干してしまった。
水もその先10Kmほど走ったところで飲み干してしまう。
 
 
そこから先、120Km地点あたりから極端にスピードダウン。
脱水でヤバイ状態だ。
沿道に蛇口やホースがないか、キョロキョロしながらのヘロヘロ単独走となった。
 
 
脱水状態で今にも止まりそうな感じで走っていた汀間漁港付近で、後ろから声がかかる。
「すみませ~ん、付かせてもらってま~す。」
100Kmに参加の選手だった。
「65歳のジジイなんで許してくださ~い。」
「それから私、名前****って言います。あなたのジャージの名前と同じなんすよ。」
「なんだか嬉しくって~」
無精髭のその紳士は満面の笑みでそう言ってきた。
 
その満面の笑みに元気をもらって、
「脱水状態でスピード遅いっすけど、よかったらどうぞ!」
こちらも満面の笑みで返した。
 
振り返ると、その紳士の後ろにも10人ほどが連なっていた。
今更、「やっぱり先頭交代してください。」なんて言えないし・・・
ま、いいか。
そう思うと、不思議と力が湧いてきて、5Km少々の短い距離だけど、番越トンネルの登り手前まで、その集団を引くことになった。
 
 
番越トンネル、羽地ダムへの最後の登り。
これを登りきれば、最終関門の川上まではあと少し。
 
今年もなんとか川上の最終関門を時間ギリギリですり抜け、国道58号線を気持ちよく凱旋・・・
と行きたいところだったけど、もう限界。
脱水状態で、とにかく水が欲しくて。
関門を通過した安心感もあり、脚が回らない。
止まらない程度のスピードで目指すゴール。
「たかが7Km」がとてつもなく遠く感じた。
 
今年も無事にゴール。
 
 
 
今年は南風の影響か、国際ロード210Kmも例年に比べてゴール時間が遅かった。
市民レース210Kmに至っては、完走率が30%という低さ。
わが輩のゴールタイムも一昨年より10分以上遅くなっている。
しかし、順位は3つ落ちただけ。
やはり、南風と暑さの影響で、選手全員にとって非常に厳しいレースとなったようだ。
 
 
 
これから、ツール・ド・おきなわ市民140Km 完走を目指している方。
このアラフィフおやじ、ねこ蔵のブログが参考になれば幸いです。
 
7月~9月は毎月の走行距離、1,000Km少々。
10月は疲労抜きで600Kmぐらい。
そして、登坂力の確認のため、1時間20分前後を目標に、マウンテンサイクリング in 乗鞍で脚試し。
こんな感じで走っていれば、アラフィフでもなんとか完走できるってことです。
 
 
今年の補給食は、スタート直前にウィダーインゼリーと朝バナナで約200Kcal。
走行中はパワージェル10個持参。
水分切れもあって、8個しか使えなかったけれど、10個は持って走りたい。
そして、水分を切らさないよう、給水所ではしっかり受け取ること。
今年のように暑くなった場合には、ポケットにも入れて、3本持っても多すぎることはない。
 
 
 
あ~今年も無事に完走できてよかった。
しかし、今日一日でよく焼けたものだ。
 
 
 
沖縄を目指す自転車乗りにとっては、11月が正月のようなもの。
1年の節目。
しばらくゆっくりして、また来年に向けて、再出発だ!
 
 
ホテルに帰って、まずビールでおつかれ~。
オリオンではなく、なぜだか岩手産遠野産とれたてホップ。
 
 
 

その後、ホテルの売店で泡盛の試飲。
あ~素敵。


夕食が始まるころには、もうレロレロ。
まあ、いいか。
この日は、沖縄の自転車乗りの正月だから。


ありがとう、沖縄。


また来年。


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